新羅神社

この神社は国道319号線を南へ進み、高松自動車を過ぎた最初の信号を左折し、しばらく行くと右手に見えてきます。
境内は広く、拝殿、本殿とも新しい。
写真にありませんが、社務所もでき、社叢の整備もすすめています。
「新羅神社竣工之碑より写す」
新羅神社は、往時より木徳字松浦に在り、社伝によれば古くは 神社境内南側に、石造りの祠と子牛大の岩座があり 三王権現と称え奉る。
社は南に向かい馬場長くして幅四間 長さ百五十間 あったと伝えられる
白鳳二年(六七三)木徳の戸主和気喜茂創祀にし村の産土神として壱千参百有余年の間 信仰と敬慕の的となってきた
ご祭神は農耕の神・英雄の神素戔嗚尊を祀る
仁和三年(八八七)智証大師(国珍)が薬師如来を本尊として此の社をして金林寺の鎮守となすとあり 神仏混淆の神社となる
元禄四年(一六九一)神慮を伺いて馬場を収用し宮池の拡張をはかる 社殿は再建され東向きとなる
明治新政府の神仏混淆を禁ずる神仏毀釈の令により金林寺は廃止され 新羅神社には ご祭神のみ跡に残る
明治十二年(一八七九)火災により烏有に帰す。
篤信先覚者によって明治十五年(一八八二)社殿を再建し 本殿篠葺 弊殿 拝殿瓦葺 雨来百星霜、その間幾度かの改修工事を行う


明治四一年(一九0八)には神饌幣帛料供進神社に指定され近郷で格式の高い神社として崇拝を受ける
平成十一年(一九九九)不審火に罹り炎上
幸いにしてご祭神は難を免れた 産土一同は心を痛めた、ただちに再建の評がおこり 産土相寄り相計り、篤志崇敬者各位 より奉費の浄財を仰ぐ
三年の歳月をかけ 五穀豊穣と里人の安泰を念じつつ吉野檜の香りただよう優美にして崇高な本殿、弊殿、拝殿の再建が二00一年と云う慶賀の年の今日 後生に誉れる平成の社殿としてめでたく完成した。
これを記念してこの碑を建立する
平成十三年(紀元二千六百十一年)四月吉日

